誰のために授業をしているのか

授業中、ノートを取ったり、挙手をして発表したり、子供同士で話し合いをしたり。

それらの学習活動は、誰のためのものなのか。

それはもちろん、子供達自身のためである。

教師のためではない。

だからこそ、時々考えておくといいことがある。

それは、「やるもやらぬも、子供達自身がその恩恵を受ける」ということである。

だから、「やらないのであれば、やらなければいい」のである。

教師としては、やらせたい。学力を向上させてあげたい。

しかし、受け取る側がそれを望んでいなければそれは不可能である。

20年前、30年前の学校であれば、問答無用でやらせることが是であった。

しかし、今は違う。

「本人がやりたくないと言っているのに…」

「保護者も望んでいないのに、先生が無理矢理に…」

ということになる。

おかしなことだと思うが、その流れに逆らう覚悟があるのか。

ないのであれば、その流れに沿って仕事を進めていくしかない。

「やるもやらぬも、本人が選んだことを優先する」ことになる。

「本人がやりたくなるような授業をする」

「集団の中に数名、授業に臨まない子がいても、集団としての授業に支障をきたさない」

などの心がけは、教師として持っていた方がいいとは思う。

難しい時代である。

子供を優先しつつも、子供を見捨てない。

そんなバランス感覚で仕事をしていくと、少しは快適に働くことができる。

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