時々、「めあて」を書き忘れる。
だが、授業はおおむねうまくいっている。
それは、ダメなことなのだろうか。
「めあてを書いたかどうか」のみを取り立てて指導をされることがある。
それは手段であって、目的ではない。
めあてが書いてあっても、子供達が伸びない授業はある。
めあてが書いてなくても、子供達が伸びる授業はある。
これは、めあてに限らない。
まとめを書くかどうか。
話し合いの場面があるかどうか。
タブレット端末を使ったかどうか。
黒板を一目見て、授業の流れがわかるかどうか。
赤鉛筆や青鉛筆で、語句を囲ったかどうか。
どれも、授業の良し悪しを判断する材料のひとつになる可能性はあるが、決定打にはならないだろう。
手段にとらわれ、目的を見失っていないか。
自戒をこめて、記す。
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